逼迫した環境でなければ、最低勝利条件なんて目指す必要はない

昨日と一昨日の話、をぐまさんに『私が学生だった頃はそんな難しいことは考えなかったけどなぁ』と突っ込まれてしまった。そらそうなんですけどね…。


で、なんで自分が小難しいことを考える必要があったかと言えば、体育会活動をしていたせいで留年ギリギリ(実際留年した)の単位しか取れる状況に無かったからでしかない。だから、いかに最小の資源投入で最低勝利条件を達成するかという方法について悩む必要があったのだ。
モラトリアム全開で何も活動していない状態であったとしても、大学の授業に投じられる資源は最小になるだろう。だから、この話はポジティブな人向けという訳ではなく、ネガティブな人向けでもある。
むしろ、ネガティブな場合にこそ有効だと思う。ネガティブな場合こそ、自分の状態を確認しないという場合が多いだろうし…。

 学部生だった頃は“どんだけ単位とっても学費は一緒”という恐ろしい考えのもと、興味を引いた授業は片っ端から受講しまくり、一年の取得単位数が80を超えるという、裁判所もビックリな生活をしていました。月曜日の朝一から土曜日の夕方まで授業付け。しかも嬉々として受講。
 2年次以降は取得可能な授業をあらかた刈り尽くしてしまったため、他学部の授業を単位にならなくても受講しまくったため、龍円先生など学部違うのに顏憶えられた。
 流石に大学院に進学するともう少し知恵が付いて、「效率よく勉強したい」とか、週の半分は東京に居て別の大学に居た、とか勉強しているよりどこぞの委員会に出席していたとか、学内に居ない幽霊院生になってしまったわけだが、とまれ、あまり模範的な学生とは言いかねる様相だった。

なんて学生生活が送れる環境にあれば、最低勝利条件なんて簡単に突破できるから考える必要ないですね。
が、自分のような学生には授業以外の占める率が高すぎたんですよ!
それに、最近の大学では授業のクオリティを上げるためか、授業のコストを下げるためなのか、厳しめの履修制限や単位数取得制限を設けているところが少なくない。うちの学部の場合も、進級条件が30単位/年だったのにも関わらず最大40単位/年しか履修できなかった。
だから、自然と週3日とか酷いと週2日しかキャンパスに来ないのがザラになる。一般的な学生にアンケートを取っても、履修している授業の日数とは別に、実際に登校する日数は2.7日/週位が平均になるんじゃないかとも思うくらい。
そんな学部生時代を過ごした人間からすれば、ある意味羨ましい限りです。

まぁ、そう言う環境に置かせてもらったとして、ここまで出来るかと言われたらNoですけどね!

負けても、戦え!這いつくばっても戦え!

昨日の『勝つために戦え!と言うか、何に勝つべきなのか?』という話は、そこそこ受け入れられたようですが…。
はてブのコメントで気になる意見が少しあったので、それに対するコメントと昨日書いてなかったことを少し。

  • id:atawi 学生時代に考えておけたらなぁと歯噛みする
  • id:islecape 十代のころこういうふうに考えられていればよかったんですがねえ。僕はもう詩人になります。
  • id:lameduck 卒業だけでなく、大学生活を楽しむことも勝ちの要素と思う今日この頃。一時期、大学に来ずに(責任のある)仕事をしてたんだけど、失ったものは大きかったな、と今になって思うよ。 # 今、大学生

(上記の引用にidの付け間違いがありました。ごめんなさい)

いや、学生時代に気づけなかったのは残念かもしれないけれど、今からでも遅くないのではないかと。
たとえ、学生時代に負けていたとしても全然問題無い。むしろ、負け戦を知っている人の方が強い場合もある。前のエントリーで書いたけど、自分の場合負けてから己や世間に対しての勝ち方を知ったような面もある。負けたことで得たリスクも凄く大きかったけれど、小さく負けて立ち直れるという意味でも学生時代に負けるのは大失敗じゃない。むしろ、小さな失敗を知らずに大きな失敗をしてしまうと二度と立ち直れないし。

これも前のエントリーでも書いたけど、大学の役目は学問を学ぶだけではなく、サークルや体育会、趣味、ボランティア、起業、バイト、就職というための足がかりであり、身分を保障してもらえる場所でもあるわけです。身分を安定させた上で、自分の求めるモノに対して進んでいく場であるはずです。
『Leo's Chronicle: 東大に伝わる「秘伝」とは』で書かれているように、『研究や勉強は自ら「学ぶ」もの』であることに気づく場であり、その場として若者を容易に受け入れてくれるのが大学だからです。


だから、『研究や勉強は自ら「学ぶ」もの』であると気づいて行動できるのなら場は問われないということです。
動くことでしか環境は変えられず、先行者との距離は自分が走り続けることでしか差を詰められません。ゼロアワーまでに彼らに追いつけなければ、絶対的な敗北が待っているだけです。
たとえ環境的に走れなかったとしても、止まるよりはマシです。歩くしかありません。


とは言え、社会に出れば勝つために戦うことや何に勝つべきなのか?ということは日常的に求められるようになります。だから、大学時代に気づけたらもう少し楽だったなぁと後悔されてるだけかもしれません。
でも、後悔することでさらに現状の最低勝利条件が明確になると思います。
何に勝つべきなのか?勝つためには何が出来るのか?たまには振り返りたいと思います。



こんな啓蒙エントリーを書いておきながら、自分は全力で走り続けられているか?と問われると恥ずかしくなる。
とりあえず、来るべき修論執筆時の自戒として書いておきます。

ついでに

「常に少なくとも最低勝利条件を目指せ!」と言うエントリーなのに、なぜPDCAサイクルの話やら自己啓発系の話をしなかったかと言えば、面倒だったというのが一点と話をシンプルにしたかったというのが一点。あと、自己啓発系のエントリーだと最低勝利条件よりも要求することが多いからという理由。
とりあえず、最低勝利条件だけ達成し続ければ負けないし、負けた時のダメージも少ない。

勝つために戦え!と言うか、何に勝つべきなのか?

さて、最近は『大学ってもっとすごいところだと思ってた。』などと、「大学で何を出来るのか?」とか「大学で何をすべきなのか?」と言うエントリーが流行っているらしい。

とは言え、そもそもの話として何のために知識を得て何を為すべきなのかという、大学での勝利条件に関する話や何に勝つべきなのか?と言う話が抜け落ちている気がする。フォローのエントリーになればなる程語られてはいると思うけれど、観測範囲内に勝利条件に関するエントリーが無いようなので語ってみようと思う。ちょうど、勝利条件ギリギリで喘いでいる後輩も居るようだし。
また、卒論提出まで後3日(そしてまだ原稿に手をつけていない)とか言う人も居るようなので、そんな人への応援としてこのエントリーを送りたい。と言うか、このエントリー読んでる暇あったら卒論書けよ!とか思ったりもするけど(笑)
ちなみに、負けた後の話はこっち→『負けても、戦え!這いつくばっても戦え!』


そもそも、どんな環境においても最低勝利条件を達成できなくては失敗です。失敗も一度や二度までは許されるかもしれませんが、何度も繰り返しているようではお先真っ暗になるでしょう。
そして、大学という環境での最低勝利条件は言うまでもなく卒業です。
こういうことを書くと、「大学なんて卒業しなくてもポジションを得られたぜ!」とか「大学なんて中退してこそ華だ!」とか言うid:dankogaiみたいなマッチョな人も出てくるとは思いますが、あくまでそれは別の環境での勝利条件を達成しただけに過ぎず、大学という勝利条件は完全に達成できていません。人生での成功と、大学での成功は別な話です。一緒にしてはいけません。
大学生活を短く区切れば、卒業しなくても2年進級とか3年進級・4年進級とショートスパンでの勝利条件は達成できるかもしれませんが、大学というクエストは終わりません

だからこそ、大学に入った以上は『これなら本を乱読したほうがマシなんじゃないだろうか』と『大学なんかつまらん』などと大学に意味を感じなかったとしても、とりあえず、卒業という最低勝利条件だけは達成すべきです。


元エントリーの場合、学問を求めて大学に入ったようですが、大学はそれだけの場所ではありません。人によって学問以外にも、サークルや体育会、趣味、ボランティア、起業、バイト、就職というための足がかりであり、大学は身分を保障してもらえる場所でもあるからです。
最近はネットの普及でそうで無くなりつつありますが、一般的には身分が安定しない人間だとなかなか信用してもらえません。バイトをするのに困ったり、キャッシングだって出来ないしと現代生活においてはなかなか困る場面が多いです。
それが、大学において最低勝利条件さえ達成し続けるだけで、世間から自分を承認してもらえ、さらに身分の安定を図れるのです。そんな美味しいポジションはありません。
「体制の破壊者に俺はなる!」とかいう革命家気質な方を除いて、最低勝利条件を達成しておくのが無難です。


では、成績などの理由によって卒業や進級といった勝利条件を達成できそうに無くなった場合、どうやって達成すればいいでしょうか?
成績が理由なら単位取得数が足りないか目標(や今後必要とされる)GPAに足りないという場合が殆どだと思いますし、後は自分の体調とか家庭的な理由が殆どであると思います。

成績が理由ならば、まず最初に考えるべきは最低勝利条件を確認し直すことです。
「それだけかよ?」と思われるかもしれませんが、まず自分の単位取得状況という現状を再確認した上で、卒業必要単位数という勝利条件との差を見積もって残り時間を計算することが出来ればたいていの場合は大丈夫です。大学に裏口入学したので無ければ(笑)、能力的な意味で達成できないということはなく、現状を把握しないで(もしくは把握しつつも、行動に反映できず)惰性で行動していたから、この様な状況に陥る場合が殆どだからです。
ここで再確認することが出来れば、差を埋めるために必要な措置もわかってくるでしょう。現状を確認した上で少しでも早く行動すれば、まだ単位取得に必要だけど出ていなかった授業のレポート期限にも間に合うかもしれません。さらに、授業担当者に泣きつけばなんとかなる場合もあります。「今更来るな!」と担当者に罵倒され恥をかきたくないかもしれませんが、そんなふざけた学生は毎年居るのでそれ程気にすることはありません。罵倒され、恥をかいて、そして反省しましょう。大学の単位取得なんて、ギリギリになってもなんとかなるもんです。*1

しかし、そんな時に限って「そんなことまでして卒業する必要があるのか?」とか「ここまでしたくない…」とか「どうせ数単位積み上げたところで、足りないし…」などと、美意識や怠け心が邪魔になってくるかと思います。
そこで考えるべきなのは、何に勝つべきなのか?ということです。
己に勝つ*2べきなのか、それとも勝負に勝つ*3べきなのか、それとも勝負を投げ出す*4のか。とりあえず、勝負を投げ出しては意味がないし、そういうことをやっていると投げ出す癖が付くので除外しましょう。
己に勝つべきなのか、それとも勝負に勝つべきなのか、人によって判断の分かれるところかもしれません。たいていの場合、ここで勝つべきなのは勝負に対してであり己ではありません。
なぜなら、『己に勝って停滞することよりも、負けて進んでしまった方が物事うまく進む場合が多い』からです。とりあえず、最低勝利条件さえ達成してしまえば、世間からの承認は得られますし、就職や大学院進学という大学の次の環境に移れるからです。同じ環境に停滞し続けるのには、あまり意味がありません。
とは言え、己に勝った方が満足度も完成度も高くなる場合があるというのもわかります。実際、自分の場合だと体育会活動で勝利条件を犠牲にしても己に勝ちにいった経験があります。その際そこで勝ちに行ったからこそ、自分と世の中に対しての勝ち方がわかったという気もしています。が、その分社会的な承認は得られなくなりますし、よっぽどのメリットが無い限りはリスクが大きすぎるので、よっぽどのことが無い限りやめておいた方が賢明でしょう。
そして、自分で考える「己に勝つ」ということの重要性は自分で思っているよりも重要視されません。自分のプライドや満足度なんて、他人からすればどうでもいいものです。
勝てば官軍です。
ちょっと言及対象も言い方は違うけれど、いい言葉があったので引用。

「大学の意味は、絶対的には存在せず、相対的にしかつけられないので、相対的な意味をつけて大学を利用すればいい」
大学で学ぶということの意味をわかってない人達 | 芸人社長のブログ

そう、相対的な意味を見つけて勝利すればいいんですよ。
大学で完全勝利を目指す必要はないし、大学は完全勝利するための場でありません。完全勝利を目指すのならば、もっと先の場で実践すべきです。


と言うことで、大学において何に勝つべきなのか?という話を書いてみました。
とりあえず、留年しそうな人、卒業できなさそうな人は頑張ってください。
頑張れば、たぶんいいことあります。


ついでに、『負けても、戦え!這いつくばっても戦え!』続きも書いた。
(追記)
大学生の身分素晴らしいよ!って、もっと直接的に言ってるエントリーがあった。

っていうか、僕は、大学っていうより、「大学生」っていう身分にめちゃ価値があると思う(中略)
価値1:働いても責任があんまりない。
価値2:休学しても、身分を失わない。(ちょっと特殊かな?)
価値3:自分の時間をめちゃ作れる。休みが長い。
価値4:就活ができる(学部3年生)
価値5:利害関係のない友達とか知人を自由に作れる。
大学はすごくないけど、大学生って身分はすごいと思う - きびたんの日記。だけど id:uzuki-first なのさ♪

うん、そうだよね。就活も卒業もがんばれ。

*1:理系のヤバい学科除く

*2:美意識を優先して最低勝利条件での勝利を放棄する

*3:とりあえず、酷い状況でも卒業する

*4:もう、諦めて何もせずに留年する

新年の挨拶

「A29」

A29
最近、「明けましてお目出度うございます」を「あけおめ」と略すのに飽きたらず、「AOKY」と略すこともありますが、去年の挨拶を「AOKY」としてしまったのでさらに短くできないか考えてみました。


で、手短に素早くメッセージを伝える方法と言えば電報が元祖だったなぁと思い出し、電報の定型文で新年の挨拶を探してみました。
NTT東日本の電報案内をWebで見てみたところ、新年の挨拶は10通りくらいあるようでしたが、そのうちの一番目2601を採用してみました。
ちなみに、メッセージ内容は以下の通りです。

2601:「輝かしい新年を迎え、謹んで皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします」(33文字)

2601だとAOKYと同文字数で去年より短くならないので一捻り加えて、それを16進数に直して「A29」としました。「AOKY」の4文字を塗り替えて、3文字!
みなさんも、「あけおめことよろ」とか「AOKY」とか使わないで、A29とか使えば少ない文字数で多様な表現が出来ますよ!
A29〜A32まであるようなので、適当に使ってみては如何でしょうか?



で、2601だとコード2501と番号が近いので、攻殻機動隊が好きな人は2501の中身が気になるでしょうから調べてみました。
「ご栄進おめでとうございます。これまで積んでこられたご努力の成果と、心よりお喜び申しあげます。今後一層のご活躍とご健康を祈念いたします。」(67文字)
と言うことで、コード2501の本当の意味は草薙素子の栄進を祝っていたんですよ!(ナッ、ナンダッテーAA略
再開した時の合い言葉が、栄進のお祝いとはなかなかやりますね。
そういや、バトーも再開時は栄進してたような?
人形遣いも、粋なことやりますね。さすが、片思いしていただけはあります。


と言うことで、新年の挨拶エントリーでした。

神勢がおいしい

二郎の話が出たついでに、最近の二郎環境についてでも書いておく。
キャンパスが変わって、通学経路に気軽に美味しく食べられる*1二郎が無くなってしまったので、行列覚悟で神保町に行くか自転車で頑張って三田に行くかという選択肢しかなくなってしまった。
ラーメン大本郷店やぽっぽ屋湯島店など、二郎系の店はあるのだけれどもそれだけでは満足しきれない日々だった。

最寄りのラーメン屋では、神勢と言う店がキャンパスを出てすぐの所にあって二郎インスパイア系のメニューを出しているのだけれども、値段が高めと言うこともあってあまり入ることも無かった。
が、最近通うようになって、美味しいんじゃないかと思うようになった。と言うかうまい。
ぷるぷるに茹でられた極太麺と、脂が溶け込んでこってりなスープが非常においしい。
18時以降のみの限定メニューなのがもったいない限り。
こんなことを書いていたら、夜中だというのに腹が減ってきてしまったので特にオチはない。とりあえず、これを読んだ人は神勢に行ってみればいいと思う。

*1:往復時間、待ち時間的な意味も含めて

HatenarMaps見たら、食の地に居た件

さて、HatenarMapsのニューバージョンが出たらしいので見てみたら、食の地にいた(笑)
はてブで最初に人気を集めたのが『元現役生として、一言SFCの二郎環境について言っておく』という一件だったと言うこともあるんだろうけれど、ぐへーと言うしかないな(笑)
むしろ開き直って、二郎日記でも書いた方*1がいいんだろうか…。
今後の動向として、気になるところではある。

*1:余談だが、ここに書かないだけで結構二郎系に行っている

SFCのサイトリニューアルが酷すぎて何も言えない

さて、昨日夜中にTwitterのタイムラインを眺めていたらSFCのサイトリニューアルが酷いという話が…。
で、実際に見てみるとかなり酷い。
まず、トップページがアクセシビリティゼロ・サイトデザインが悪い、サイト構成も中途半端という段階でリニューアルされた、ということは非常に問題。
なぜ、このようなリニューアルをする前にプレオープンのような形で学内で意見を集めなかったのかが疑問。そもそも、誰が作ったんだ?これ。
現役生にもTwitterで聞いてみみたけれど、皆驚いてあまりの使いづらさに怒りを抱いているし(笑)
あまりにも酷いので、速攻抗議メールを送った。
そして、凄まじく盛り上がるTwitterのタイムライン…。もちろん、みんな扱き下ろしまくり(笑)


以下はメールでweb2008-keio@sfc.keio.ac.jp宛に送った抗議文をBLOGアップロード用に改変。
インタフェースデザインをやっている研究室が多いのにも関わらず、アクセシビリティに全く配慮しないトップページになったとは酷すぎる。SFCの品位を下げる行為であり、過去のページを全削除したのもGoogleなどの検索エンジンでの価値を暴落させる行為じゃないかと。
そもそも、W3Cの活動を推進しているキャンパスのやることではないし、W3Cに全く相談も無いまま行われたとは呆れてしまう。対外的なアピールとして、大失敗。


また、過去のSFC生紹介に関するコンテンツが削除されたのにも憤りを感じる。
SFCは多様な学生が居て、その業績を紹介されてきたのがSFCページの特徴であり、SFCを一般にアピールする上でも重要だったはず。そのコンテンツが削除され、ただトップページへの案内しかないとは呆れる限り。サイト制作者誰だ!
検索エンジンからやってきても、ページが全く見られないようでは駄目だし。


今回のようなリニューアルは、はっきり言って失敗だったと言い切るのが正解だと思う。
どうか、リニューアルを再考して欲しいと思う。

以下、同内容記事応援リンク。
Geekなぺーじ : これはひどい 慶應大学湘南藤沢キャンパス(SFC)のリニューアルWeb
SFCのサイトリニューアルの件について | Fumihiro Kato / 加藤 文彦



今回の件は、SFC関係者みんなで抗議すべき問題だと思う。