負けても、戦え!這いつくばっても戦え!

昨日の『勝つために戦え!と言うか、何に勝つべきなのか?』という話は、そこそこ受け入れられたようですが…。
はてブのコメントで気になる意見が少しあったので、それに対するコメントと昨日書いてなかったことを少し。

  • id:atawi 学生時代に考えておけたらなぁと歯噛みする
  • id:islecape 十代のころこういうふうに考えられていればよかったんですがねえ。僕はもう詩人になります。
  • id:lameduck 卒業だけでなく、大学生活を楽しむことも勝ちの要素と思う今日この頃。一時期、大学に来ずに(責任のある)仕事をしてたんだけど、失ったものは大きかったな、と今になって思うよ。 # 今、大学生

(上記の引用にidの付け間違いがありました。ごめんなさい)

いや、学生時代に気づけなかったのは残念かもしれないけれど、今からでも遅くないのではないかと。
たとえ、学生時代に負けていたとしても全然問題無い。むしろ、負け戦を知っている人の方が強い場合もある。前のエントリーで書いたけど、自分の場合負けてから己や世間に対しての勝ち方を知ったような面もある。負けたことで得たリスクも凄く大きかったけれど、小さく負けて立ち直れるという意味でも学生時代に負けるのは大失敗じゃない。むしろ、小さな失敗を知らずに大きな失敗をしてしまうと二度と立ち直れないし。

これも前のエントリーでも書いたけど、大学の役目は学問を学ぶだけではなく、サークルや体育会、趣味、ボランティア、起業、バイト、就職というための足がかりであり、身分を保障してもらえる場所でもあるわけです。身分を安定させた上で、自分の求めるモノに対して進んでいく場であるはずです。
『Leo's Chronicle: 東大に伝わる「秘伝」とは』で書かれているように、『研究や勉強は自ら「学ぶ」もの』であることに気づく場であり、その場として若者を容易に受け入れてくれるのが大学だからです。


だから、『研究や勉強は自ら「学ぶ」もの』であると気づいて行動できるのなら場は問われないということです。
動くことでしか環境は変えられず、先行者との距離は自分が走り続けることでしか差を詰められません。ゼロアワーまでに彼らに追いつけなければ、絶対的な敗北が待っているだけです。
たとえ環境的に走れなかったとしても、止まるよりはマシです。歩くしかありません。


とは言え、社会に出れば勝つために戦うことや何に勝つべきなのか?ということは日常的に求められるようになります。だから、大学時代に気づけたらもう少し楽だったなぁと後悔されてるだけかもしれません。
でも、後悔することでさらに現状の最低勝利条件が明確になると思います。
何に勝つべきなのか?勝つためには何が出来るのか?たまには振り返りたいと思います。



こんな啓蒙エントリーを書いておきながら、自分は全力で走り続けられているか?と問われると恥ずかしくなる。
とりあえず、来るべき修論執筆時の自戒として書いておきます。

ついでに

「常に少なくとも最低勝利条件を目指せ!」と言うエントリーなのに、なぜPDCAサイクルの話やら自己啓発系の話をしなかったかと言えば、面倒だったというのが一点と話をシンプルにしたかったというのが一点。あと、自己啓発系のエントリーだと最低勝利条件よりも要求することが多いからという理由。
とりあえず、最低勝利条件だけ達成し続ければ負けないし、負けた時のダメージも少ない。