システムに無理解な日本人(と言うかメディア)

今回の大野病院裁判、一審とは言え無罪で本当良かったと思う。
ただ、未解決の問題がまだある。しかも、この問題を解決するのは困難だ。
今回の裁判で被害者の父親が語った台詞を追っていくと、「(自分の気が済むまで永遠に)謝って欲しい。(自分に都合のいい)真実が欲しい」ということに集約されてしまうのではないかと思ってしまう。
この裁判をきっかけに医療について色々調べたと父親は会見したそうだけれども、結局どんな医療であれ失敗する危険性があるという事実についてはきちんと理解できなかったのではないか?
裁判に一区切りついた今でさえ、被害者父は加藤医師の責任を追及することしか(おそらく)考えていない。言葉は取り繕っているけれど、本質的には今後も加藤医師憎しで動いていくだろう。
このような、被害者感情という一度燃え上がってしまうとなかなか消せない感情を沈めることが、被害者の会も被害者を取り巻くメディアも出来なかったということを本来反省すべきではないのか。
医療安全調査委員会を作ったところで、被害者感情は変わることはない。ただ、感情の矛先が医師・病院であったのが、医師・病院・調査委員会と増えるだけだと思う。


今本当に必要なのは、医療の本質とはなんなのかというのを啓蒙する事じゃないだろうか?
啓蒙にあたるべきなのは医療関係者ではなく、非医療関係者、わけてもメディアにその責任があるのではないだろうか?

医療事故だけでなくシステム事故というのも、得てして個人の責任に帰着させようとするのが日本の司法であり、警察機構ではないかと思う。結局、何が本当の要因だったのかというのが自分に理解できないから、とりあえず個人の責任にして事件を解決させる。ある意味、日本的な解決方法だとも思う。
これについては、それぞれの分野に専門委員会が設けられることで少しは改善していくかもしれない。
でも、被害者感情は最後まで残るだろう。
被害者感情が間違った方向に進みやすいのは、ある程度しょうがないと思う。家族や友人を失ったり、自分が被害にあったりすれば、嫌でも誰かを恨みたくなってしまう気持ちは生まれてしまう。自分の専門分野で無いと間違った判断を下しがちなのに、感情が高ぶっていればさらに間違った判断をしてしまう可能性も高い。
が、それを間違っている方向に煽り続けているのがメディアではないか?
被害者感情をメディアで盛り上げ、メディアスクラムを組む形で専門職を追いやっていく。今までの医療事故やシステム事故では、こういったメディアの話題が盛り上がりさえすればそれでいいという姿勢が殆どだった。
日本のメディアは数年で記者が部署をローテーションしていくという体制が取られてきた。その様な状況では専門家は育たないし、専門家が居ないからこそ被害者感情を盛り上げることしか出来なかったとしか言いようがない。


今回の裁判でも、医療に対するメディアの姿勢は医療関係者から強く批判されてきた。
にも関わらず、判決に対する記事で医療制度の改善を問題視する記事はあれど、メディアの自省が無かったというのは理解に苦しむ。
毎日のWaiWai事件にしろ、今メディアに求められているのが自省であるはずなのに。
メディアが反省できるか、他者の批判に耐えることが出来るのか、今本当に求められているのはそこだと思う。

(追記)
で、メディアの記事を色々読んでみると、他人事どころか責任を他者に押しつけた記事が多い。
これじゃあ、いつまで経ってもメディアと世間の壁は埋まらないし、メディアは炎上を起こすものでしかないなぁとうんざりしていたら以下の記事が。

筆者はこの事案の専門知識などない。経緯も知らない。
(中略)
 春秋の筆法をもって意外判決を分析すれば、裁判所は福島県日本医師会厚生労働省族議員に配慮したものであろう。勇気のない自己保身の裁判官でしかなかったのだ。
 うそと隠蔽は医学界・医療現場の体質・文化となっている。これを突き崩す作業が何よりも求められている。手抜きや不注意はいたるところに存在しているのだから。「明日はわが身」の医療列島である。
(中略)
現在、うそと隠蔽の医療文化を排して、事実を認め謝罪する文化に変えるべきである
本澤二郎の社会評論「医師の刑事訴追」

これを書いた本澤二郎というのは、医療事故で息子が植物人間になってしまったそうだが、それをさっ引いてもひどい。ジャーナリストという視点を忘れ、ただ感情のみに突き動かされている。
こんなことで、事実が見えてくるとは思えない。
ジャーナリストだからこそ、自分が当事者になった時に感情を爆発させてはならないはずだ。
今回の記事でも医者に対する憎悪が全面に現れ、1分で出来る事実確認もせずにただ医師への不満をぶちまけている。
『言及するまでもない。注意義務違反は刑事訴追の対象である。当たり前の近代法原則である。医師だけ過失から免責という法理論などありえない。』
アメリカの医療隠蔽体質改善を賞賛するのならば、アメリカにおける法制度改善をなぜ知ろうとしないのか?
このような近視眼的で憎悪を爆発させたジャーナリストが減らない限り、医療事故被害者の憎悪も減らないんだろうなぁ。