日本航空機のニアミス事故訴訟高裁判決に抗議する(Ver1.1)

とりあえず、これはすぐに書かないと意味がないような気がするので、とりあえず短文ながらアップ。

様々なメディアで既に報じられてはいるけれど、『「もう管制できない」ニアミス逆転有罪、現場に衝撃』には現場じゃないが航空業界に関わっていた人間として衝撃を受けた。
航空先進国のアメリカやほとんどの国において、事故の再発を防ぐという意味でも故意や認識ある過失の場合を除いて刑事責任や民事責任が問われないのが原則になっており、日本の事故で個人における刑事責任を第一とする捜査には日本の学術関係者・業界関係者を問わず批判の対象ともなっていた。
とは言え、日本でも事故調査の独立性という観点から、事故調査を担当する航空・鉄道事故調査委員会国土交通省所属の団体を、2008年度中に現在の「航空・鉄道事故調査委員会」と「海難審判庁」を統合し、新たに「運輸安全委員会」が出来ることとなっており、アメリカのNTSBのような事故調査と安全対策を第一に航空事故を扱えるようになる気運は起こっていた。
そのような時期での判決だというのに、このような世界の常識を全く無視し、事故再発を防ぐという安全対策の基本を無視した判決を出す司法に怒りを覚える。
ましてや、産経の記事のように『判決は、管制官の単純ミスは大惨事につながりかねないということを厳格に示した点で、航空行政に携わる者への大きな戒めとなろう。』なんて考え方は許されない考え方だ。戒めどころかミスを恐れるばかりに現場が萎縮し、医療現場で起きているような現場担当者の退職から始まる現場の人手不足を加速させるようなことでしかない。
そういう意味では、id:Yosyanさんふか&もけさん「管制崩壊」のようにお医者さんが反応するのもわかる。

さらに言えば、TCASという当時不確かで管制官が確認不能だった装置をどう取るべきなのかと言うことに関して、高裁判決が全く配慮されていないというのが問題。
『TCASによって907便には上昇指示が、958便には降下指示が現実に出ていた点を重視。958便が水平飛行する前提で判断した1審判決を「両機が急接近しているという切迫した状況を踏まえておらず、事実から目を背けた空論』と論じられたようだけれども、そうじゃない。
907便パイロット・958便パイロット・管制官三者全員が認識不能な状態で事態が進んだことに第一の原因がある。
管制官の指示ミスがインシデント発生の原因であるのは確かだけれども、TCASが管制官の指示を理解できない(システム上)まま回避行動を二機に指示し、さらに二機でどちらの指示を取るかで解釈が分かれアクシデントになってしまった。管制官とTCASのコミュニケーションが取れていない状況で、TCASと管制装置というシステムが被るべき責任まで管制官に押しつけるのは間違い。

最初にも書いたように、刑事責任・民事責任をシステム事故は問うべきではないという観点から大間違いの判決だし、システムの認識としても大間違いな判決だと思う。つまり、全てにおいて間違い。
この判決に限らず、医療事故・航空事故・プラント事故を問わず、巨大システムという物に対する理解が日本の司法や報道には無さ過ぎると思う。
医療訴訟によって現在日本の医療は壊滅への道を突き進んでいる訳だけれども、次は航空分野なのかと思うとうんざりする。このままでは、あらゆる科学分野がこうやってダメになってしまうのだろう。

資本家:株式の範囲内で責任を負う。
福祉により生活している人:責任を負わない
現場担当者:無限責任

結論:やらない
id:REVさん、『それは立法の問題です』

じゃないけど、リスク評価を正当に出来ないんだったら、現場の人間としては「できない」し「やらない」しか選択肢は無い。この判決で、被告が「今日からもう働けない」とか言ってるのはもっともな話だと思う。

日本に必要なのは、国のシステムを作り直すとか経済活動を改めるとかする以前に、司法と報道をどうにかしないと他を変えても無駄だと思う。司法を変えるのも時間がかかるし、まずは報道の科学に対する無理解を改めるため報道をぶっ壊す必要があるんじゃないかと思ったりもした。もう、直すとか改革するとかじゃ正常化は不能だと思う。

それとともに、こんな判決を出しやがった須田賢裁判長の今後に注目し、おかしな判決が他にもあるようなら弾劾運動を展開していきたい。