理解すると言うこと

この間書いた揚力の話に関連して、理解することとはなんぞやと言うことをてきとーに書いたのだけれども、うまくまとめている人が居たので引用。

例えば自転車に乗れるようになる事もこれに当てはまる。いくら頭で考えても自転車に乗れるようにならない。自転車に乗れるというのは感覚的なもので思考ではどうにもならないものだ。しかし乗れるようになってからこれはどのような事が起こっているんだろうと考える事はできる。それは乗れるようになる前では決して分からない事が解明される場合もあるかもしれない。

こういった頭だけ思考だけでは分からない事がスポーツの世界ではある。最近は科学的分析がかなり進んできているが少し前まではホームランを打つときのイメージトレーニングとかはそういう感覚的なものもと理解されてきた。しかしいつまでも感覚的なものであるではスポーツも進化しないので分析的解明が進むのだろう。しかし入り方として感覚的に自然を把握して、思考で反省や分析を進めるというのが大事なのだろう。そこを感覚を無視して思考だけで進めるとうまくいかなくなってしまう事がある。
感覚が主で思考が従

まったくもって、その通りで。勘違いを生みやすいかもしれないけれど、何事にも体験学習というのは重要であると思う。